9月
6th
火
6th
日本のマンガは、芸術ジャンルとして確固たる地位を獲得している。欧米のコミック・ストリップとは一線を画する深みに達した背景として、作家の創造性を促す独自の制作過程に注目したい。
1960~70年代、発行部数が急拡大する少年少女向け定期刊行誌に連載されたマンガ作品は、戦後まもなく活動を開始した手塚治虫など一部の有力作家を別にすれば、経験や知識に欠け発言力の乏しい若手作家によって量産されていた。こうした若手作家に対して、雑誌編集者はかなり強い権限を持っており、ストーリーや表現を制約し(例えば、デビューしたばかりの女性マンガ家にはまず学園ものやラブコメを書かせるなど)、読者の「うけ」を考慮して内容を変更させることも稀ではなかった。芸術性よりも商業主義を重視する立場からなされた外部からの介入は、しかしながら、結果的に作家が作品を見直すきっかけを与えた。経験の乏しい若手作家は、どうしても最初に設定するシチュエーションやキャラクタが類型的なものになりやすい。ところが、編集者の意向をもとに作品を練り直す過程で、類型から脱して独自の表現方法が模索されるようになったのである。
読者からの反響に基づいて連載中に作品のプロットが変更された例は、ディケンズの小説などにも見られるが、作品の質が向上したとは言い難い。すでに自分の世界を確立させた作家にとって、読者の声は雑音に近いのだろう。これに対して、商業マンガを描かされる若手作家は、経験や知識が不足しているだけに、編集者のちょっとした一言がきっかけとなって、世界観を広げ人間についての洞察を深めることがある。こうして、長期にわたって連載されるマンガでは、途中で初期の設定がいろいろと変更され、単なる敵役やありきたりの二枚目に人間味を感じさせるエピソードが付け加えらるようになる。中でも、主人公が変化していく作品には瞠目すべきものがある。自分の周囲にしか目を向けていなかった主人公が、複雑な出来事に巻き込まれていくうちに、世界と人間に関する深い洞察に到達する--作家側の都合でプロットが改変されたとは言っても、これはまさに典型的なビルドゥングス・ロマンの結構である。優れたマンガ作品(の一部)は、作家に対する外部からの介入がうまく作用した結果として生み出されたと言えよう(連載中にプロットが変更された結果として質的に向上したマンガは数多くあるが、最近のものまで含めた有名作としては、『めぞん一刻』『北斗の拳』『寄生獣』『鋼の錬金術師』などが思い浮かぶ)。
1960~70年代、発行部数が急拡大する少年少女向け定期刊行誌に連載されたマンガ作品は、戦後まもなく活動を開始した手塚治虫など一部の有力作家を別にすれば、経験や知識に欠け発言力の乏しい若手作家によって量産されていた。こうした若手作家に対して、雑誌編集者はかなり強い権限を持っており、ストーリーや表現を制約し(例えば、デビューしたばかりの女性マンガ家にはまず学園ものやラブコメを書かせるなど)、読者の「うけ」を考慮して内容を変更させることも稀ではなかった。芸術性よりも商業主義を重視する立場からなされた外部からの介入は、しかしながら、結果的に作家が作品を見直すきっかけを与えた。経験の乏しい若手作家は、どうしても最初に設定するシチュエーションやキャラクタが類型的なものになりやすい。ところが、編集者の意向をもとに作品を練り直す過程で、類型から脱して独自の表現方法が模索されるようになったのである。
読者からの反響に基づいて連載中に作品のプロットが変更された例は、ディケンズの小説などにも見られるが、作品の質が向上したとは言い難い。すでに自分の世界を確立させた作家にとって、読者の声は雑音に近いのだろう。これに対して、商業マンガを描かされる若手作家は、経験や知識が不足しているだけに、編集者のちょっとした一言がきっかけとなって、世界観を広げ人間についての洞察を深めることがある。こうして、長期にわたって連載されるマンガでは、途中で初期の設定がいろいろと変更され、単なる敵役やありきたりの二枚目に人間味を感じさせるエピソードが付け加えらるようになる。中でも、主人公が変化していく作品には瞠目すべきものがある。自分の周囲にしか目を向けていなかった主人公が、複雑な出来事に巻き込まれていくうちに、世界と人間に関する深い洞察に到達する--作家側の都合でプロットが改変されたとは言っても、これはまさに典型的なビルドゥングス・ロマンの結構である。優れたマンガ作品(の一部)は、作家に対する外部からの介入がうまく作用した結果として生み出されたと言えよう(連載中にプロットが変更された結果として質的に向上したマンガは数多くあるが、最近のものまで含めた有名作としては、『めぞん一刻』『北斗の拳』『寄生獣』『鋼の錬金術師』などが思い浮かぶ)。