9月
6th
火
6th
伝統的な和菓子の中には、ひどく甘ったるく味を楽しめないものが少なくない。どうしてなのだろう。
菓子の「菓」という字は、もともと果実を表していた。甘いものの乏しかった時代には、柿などの果実や甘みを持つツルなどを食して、甘味に対する欲求を満たしていた。奈良時代に唐から蜂蜜や甘藷が伝えられるが、いずれも貴重品であり、庶民の口にはなかなか入らない。ようやく江戸時代中期から砂糖の生産量が増えてくるものの、高級品であることに変わりはなかった。甘いものを食べられることが身分の高さの現れであり、庶民が買える和菓子は、それほど甘くなかったはずである。和菓子が作られるようになってからも果実が水菓子と呼ばれたことから推察されるように、和菓子の甘さはせいぜい果実(それも、現在のように品種改良で甘くなる前の渋を含んだ柿や酸っぱい蜜柑など)と同程度のものだったろう。このため、明治時代になって砂糖の価格破壊が進行し、甘味が庶民の手の届く所まで来ると、それまでの抑圧に対する反動として、過剰に甘い菓子が生産されるようになったのではないか。当時の庶民は充分なカロリーが摂取できていなかったので、甘ければ甘いほど歓迎され、売れ行きが好調だったに違いない。店側も、他より遥かに甘いことを宣伝しただろう。これと同じ現象は、戦争直後にも繰り返された。2度にわたる甘味化の流れによって、驚くほど甘い和菓子が庶民の味として定着したことは、想像に難くない。
飽食の時代である現在、もはや甘さだけで人を喜ばせることはできない。欧米の菓子が酸味を加えて新たな展開を図っているのに対して、和菓子業界は悪い意味で保守的すぎるように思われる。
菓子の「菓」という字は、もともと果実を表していた。甘いものの乏しかった時代には、柿などの果実や甘みを持つツルなどを食して、甘味に対する欲求を満たしていた。奈良時代に唐から蜂蜜や甘藷が伝えられるが、いずれも貴重品であり、庶民の口にはなかなか入らない。ようやく江戸時代中期から砂糖の生産量が増えてくるものの、高級品であることに変わりはなかった。甘いものを食べられることが身分の高さの現れであり、庶民が買える和菓子は、それほど甘くなかったはずである。和菓子が作られるようになってからも果実が水菓子と呼ばれたことから推察されるように、和菓子の甘さはせいぜい果実(それも、現在のように品種改良で甘くなる前の渋を含んだ柿や酸っぱい蜜柑など)と同程度のものだったろう。このため、明治時代になって砂糖の価格破壊が進行し、甘味が庶民の手の届く所まで来ると、それまでの抑圧に対する反動として、過剰に甘い菓子が生産されるようになったのではないか。当時の庶民は充分なカロリーが摂取できていなかったので、甘ければ甘いほど歓迎され、売れ行きが好調だったに違いない。店側も、他より遥かに甘いことを宣伝しただろう。これと同じ現象は、戦争直後にも繰り返された。2度にわたる甘味化の流れによって、驚くほど甘い和菓子が庶民の味として定着したことは、想像に難くない。
飽食の時代である現在、もはや甘さだけで人を喜ばせることはできない。欧米の菓子が酸味を加えて新たな展開を図っているのに対して、和菓子業界は悪い意味で保守的すぎるように思われる。